長野県の飯田駅からJR中央線の南木曽駅までの道のりを、大平宿を経由して歩いてきた。
大平街道は伊那谷(飯田市方面)と中山道(妻籠宿方面)を結ぶルートとして江戸時代に開かれたとのこと。
大平宿は、大平街道の途中標高1150mにできた集落で、茶屋宿として栄えたが時代とともにその必要性が失われ、1970年に廃村。
そのため現在住人はいないが、古民家を存続するために宿泊プログラムが用意されている。
歩こうと思った二つの理由
このルートを歩こうと思ったきっかけは二つ。
一つは、友人から大平宿について教えてもらったこと。
先日、中山道を歩いたところ、友人から大平宿もとても良いと教えてもらい、調べてみたところ興味が出てきた。
山の中にポツンとある廃村だが、古民家がまだ保存されている。なかなか珍しい集落だ。
二つ目の理由は、大平宿を調べているうちに、とあるブログの内容が気になった。
その昔 祖母からは 修学旅行で歩いた という話を聞いたことがある
聞き書きによれば 朝の3時頃飯田の町を出発したという
徒歩による大平越えの修学旅行は大正末期まで行われていたようだ
およそ100年前の女学生が、修学旅行の汽車に乗るためにこの道を歩いていたらしい。女学生が峠を越えておよそ42 km ほど歩くのはどれほど大変だっただろうか……。
このような大平街道にまつわる歴史を知るにつれ、自分も追体験したいと思った。
飯田駅スタート
前日の夜に車で出発して、夜中に飯田駅前のコインパーキングに到着。後で詳しく触れるが、帰りの事を考えるとできれば電車で来たかったが、始発に乗ってもスタートが11時過ぎになってしまうため、車で来ることにした。
車内で寝た後、5時ころにスタート。
正面の雲に隠れている山を上がっていく |
市街地を通りすぎ大平街道に入る。
山の中に入り、緩やかな上り傾斜のアスファルト路をひたすら歩く。ずっと同じような景色ですぐに飽きてしまう・・・。
大平宿
スタートから18kmほど 歩いたところで大平宿に到着。
集落には数組の観光客と関係者らしき人がいるだけで、とても静かだった。保存状態が良い家屋もあれば・・・
既に崩壊が始まっている家屋もある。
edy対応の公衆電話もある |
大平宿から南木曽へ
大平宿を後にしてしばらく進むと、このルートの最高地点である大平峠を通過。
さらに進んで木曽峠のトンネルを過ぎると、今度はひたすら下り道が続く。
やっと山道を抜け、工芸街道(256号線)を渡り、幸助という静かな集落に入る。
幸助や蘭(あららぎ)の集落は昔ながらの家屋が多く、穏やかな空気に包まれていて、歩いているだけで楽しかった。野良仕事をしているおばあさんたちに挨拶をしながら通り過ぎていく。
妻籠宿
256号線に合流してしばらく進み、妻籠宿に続く旧中山道へ右折。
すぐに妻籠宿の町並みが始まる。
ここで食べた栗きんとんソフトクリームが超うまかった!
14時過ぎに妻籠宿を一通り見終わって、ここから馬籠宿方面に行こうとかと思ったが、終電ギリギリになってしまうため今回は諦め、南木曽駅に向かった。妻籠宿から南木曽駅までは旧中山道の標識が分かりやすくなっているため地図なしでも歩いて楽しめる。
南木曽駅ゴール・飯田駅までどう戻るか問題
15時過ぎに南木曽駅に到着して今回の歩き旅は無事ゴール。大正時代の女学生達はこの南木曽駅に到着した時にどんなリアクションだっただろうか。
様々な歴史に思いを馳せながら歩くことができ、とても楽しい歩き旅だった。
駅の待合室に腰を下ろすと、観光案内所の方が話しかけてくださり、とても親切に対応していただいた。その方のおかげで、さらに良い旅の思い出を作ることができた。
・・・
だがここから飯田まで帰るのがけっこう大変。
乗り換え検索をしたところ、飯田まで戻る手段は二つ。
一つは、JR中央線で塩尻まで北上して飯田駅まで行く方法。2時間待って電車に乗り、2回乗り換えて合計4時間以上かかってしまう。
もう一つは、JR中央線で南下して中津川駅で降り、駅前から北恵那交通馬籠線の路線バスに乗り神坂小中学校前バス停下車、そこから高速道路の中央馬籠SAバス停から高速バスにのり飯田駅までいく方法。かなりややこしい方法だけど、こちらなら2時間で飯田まで行けるようだ。
帰りの運転の事を考えると、できるだけ早く飯田駅に着きたいので、後者の高速バスを利用する方法を選び、無事に戻ることができた。
飯田駅に到着したときはすでに夜。
無事に戻れた喜びと、あんな遠くまで歩いた驚きと、今朝この道を歩いたばかりなのにもうずっと前の出来事のような感じが混ざって、なんだか不思議な気分だった。
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